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Sun.

社説【パレスチナ情勢 争わずに解決する道】

【前書き】
 2千年前まで、今のイスラエルの地にはユダヤ人が住んでいた。しかし、エルサレムはローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人は世界各地へ離散する。ローマ人は、ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんで、その土地をパレスチナと名付けた。

 ユダヤ教やイスラム教にとってはエルサレムが聖地だった。故に、エルサレムがあるパレスチナを巡って宗教的な領土争奪戦が続いた。各国で迫害を受けていたユダヤ人は、19世紀末にシオニズム運動を起こす。シオニズムとは、故郷(パレスチナ)にユダヤ人国家を復興しようとするもの。ユダヤ人は、パレスチナに入植(植民地、開拓地へ入って生活する)するが、それまで住んでいたアラブ人と対立する。国連は、決議181号「パレスチナ分割決議」により、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家へ二分しようとするが、双方が拒否、内戦へと発展した。1948年ユダヤ人によるイスラエルが建国されるが、ここからイスラエル政府とパレスチナ勢力の戦いへ発展する。

イスラエル

 第一次中東戦争では、イスラエルの周辺国であるアラブ諸国(エジプト、ヨルダン)が領土争いに参戦。エジプトが占領した土地は「ガザ地区」、ヨルダンが占領した土地は「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれた。それまで住んでいたアラブ人は、パキスタン人と呼ばれるようになりガザ地区とヨルダン川西岸地区へ住むようになる。

 イスラエルは欧米先進国の支援を受けて、第三次中東戦争でガザ地区・ヨルダン川西岸地区などを占拠する。このままイスラエルの不敗神話が続くかと思われたが、1973年の第四次中東戦争で事態は急変する。サウジアラビアなどがアラブ諸国に対し「イスラエル支援国には石油を売らない」という態度をとったため、イスラエルは先進国の支援を受けることができなくなり追い込まれていく。

アラファト
(ヤセル・アラファト) 
 一方でアラブ諸国では、エジプトのナーセル大統領の後押しでガザ地区や西岸地区のアラブ系住民やパレスチナ難民を統合し、パレスチナ解放機構(PLO)が設立される。1969年にヤセル・アラファトがPLOの指導者となる。その後もイスラエル軍とPLOの対立は続いたが、1990年代に起こった湾岸戦争により「中東和平」が囁かれるようになった。

 その後、米国などの仲介により中東諸国の和平交渉が行われる。1993年、アラファトはイスラエルのラビン首相とのオスロ合意で、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の一部にパレスチナ暫定自治区政府を建設する。1994年、和平協定の成果からアラファトはノーベル平和賞を受賞するが、その後のイスラエルとの和平プロセスは順調には進まなかった。そして、パレスチナ人の中には、限定的な自治では満足しないイスラム過激派などのグループが現れる。それに対抗するように、イスラエル側も右派中心に再び和平決裂の動きに傾いていった。

シャロン
(アリエル・シャロン)
 シオニストの家庭に生まれたアリエル・シャロンは、後のイスラエル国防軍にあたるユダヤ人自衛組織ハガナに入隊して軍事訓練を受けた。その後、パレスチナへの強硬姿勢がイスラエルで支持されるようになり、1973年に選挙で当選、1975年に閣僚入り、1999年にリクード党首に就任している。そして、パレスチナ暫定自治区建設により、アラファトらPLOの活動が鈍っていた2000年9月28日にシャロンはイスラム教の聖地へ踏み込む。かつてエルサレム神殿があった岩のドームがある丘で「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言し、それに反発したパレスチナ人のインティファーダ(パレスチナの民衆蜂起)運動へ発展する。さらに非PLOだったイスラム原理主義組織ハマスによるイスラエルでの自爆テロも行われた。パレスチナでは、他にもパレスチナ解放人民戦線(PFLP)、パレスチナ解放民主戦線(DFLP)などが独自に活動する一方で、シャロンはアラファトをラマラ(ヨルダン川西岸地区)に軟禁するなど争いが絶えることはなかった。
岩のドーム
(岩のドームがある丘)


【今回のテーマ】
・(読売新聞)
【イスラエルのシャロン首相が脳出血で倒れた】

【シャロン首相の動き】
・(読売新聞)
【2001年3月、首相に就任して以来の約5年間、中東和平をめぐる動きはすべて、良くも悪くもシャロン氏主導の下で進んだ】
 ↓
・(読売新聞)
【テロ取り締まりに消極的だとして、故アラファト自治政府議長を長らく軟禁状態に置いた。過激派指導者を暗殺するなど、手荒な作戦も辞さなかった。】
 ↓
・(高知新聞)
【シャロン首相の政治性が示されたのは昨年9月に完了したガザ地区からの撤退だ。この地区は1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領、90年代にはパレスチナ自治政府の管理下に入ったものの、ユダヤ人入植地が残っていた。ユダヤ人の権益に固執する立場からすると、入植地からの撤退という選択肢はない。首相が党首を務めていた右派政党リクードには、こうした考えが根強くある。撤退方針には党内外から猛反発があったが、首相は押し切った。】
 ↓
・(日経新聞)
【昨年11月、長年所属していた右派政党リクードを離党、中道政党のカディマを新たに設立し、中東和平の指針であるロードマップ(行程表)をさらに前進させる姿勢を示していた】
 ↓
・(産経新聞)
【一月二十五日に予定されるパレスチナ評議会(議会)選挙、三月二十八日に前倒しされたイスラエル総選挙への影響も必至で、双方の政治が不安定化すれば、和平交渉の一層の停滞、空白も予想される】

【シャロン首相の思惑】
・(東京新聞)
【シャロン氏が昨年夏、ガザ撤退を断行したのは、パレスチナ人密集地で少数のユダヤ人入植者を守る軍事的負担に耐えるよりも、入植者を引き揚げさせる方が得策と判断したためだ】
・(日経新聞)
【パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスとも武闘路線の放棄などを条件に交渉可能、との見解を示すなど和平達成に向け、一段と柔軟姿勢を打ち出していた】

【最後に一言】
・(朝日新聞)
【新党が頓挫すれば、せっかく芽生えた和平への機運はしぼんでしまうかもしれない】


【後書き】
 社説では、イスラエルとパレスチナの関係がよく分からなかったので、私なりにまとめてみました。エルサレムという聖地が余計に宗教間闘争に火をつけたようみも見えます。タカ派と言われたシャロン氏は、パレスチナ弾圧から一転して初めてパレスチナ国家の独立を明言した人でもある。どういうきっかけだったのか【シャロン首相の思惑】の部分がもう少し詳しく知りたいですね。

 シャロン氏は77歳。数回の手術で脳内出血の止血に成功し、まだ重篤だが容体は改善に向かっているようです。ただ、政治活動復帰は難しく、中道政党カディマはオルメルト首相代行が引き継ぐ。ガザ地区、ヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植地撤去計画をオルメルト氏も推進していることから、パレスチナ和平を望む国民がカディマを支持している。
 
 3月の総選挙を控え、世論調査の結果ではカディマが第一党を維持する可能性が残されているが、シャロン氏の存在感を失ったことで再び和平を先延ばしにすることも考えられる。中道カディマが支持されているということは、国民はこれ以上の争いを避けたいという気持ちでしょう。争わずに解決する道があるならば・・・という気持ちで今後の展開を見守りたいです。

候補者

 シャロン首相の後継候補は、ペレス元首相(左上)、オルメルト首相代行(右上)、ネタニヤフ・リクード党首(左下)、ペレツ労働党党首(右下)の4名。
 

【参考資料】
読売新聞
 2006年1月7日社説【シャロン退場 軸を失った中東和平プロセス】
朝日新聞
 2006年1月7日社説【シャロン後 和平機運をしぼませるな】
産経新聞
 2006年1月7日主張【シャロン首相重体 中東和平の後退を許すな】
日経新聞
 2006年1月6日社説【シャロン首相欠く中東和平に漂う不安】
東京新聞
 2006年1月7日社説【シャロン氏重体 和平の灯は継承したい】
高知新聞
 2006年1月6日社説【首相入院 和平の行方にも影響 】
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-----------------------引用------------------------シャロン首相の容体急変 新たな脳出血で再手術 2006年 1月 6日 (金) 21:35 【エルサレム6日共同】脳出血で緊急手術を受け重体となっているイスラエルのシャロン首相について、入院先のエルサレムの病院幹部は6日、
もうシャロンの再起は難しいとしても、リップサービスでも何か言っておけば、パレスチナに対して悪いことではない。それを、『祖先と再会を果たすことを願っている』などと発言するのなら、話はネガティブになってきます。言うだけタダではありませんかね?大人になれない元
 昨年夏のガザ地区入植地撤去で、イスラエルとパレスチナの共存に一つの道筋をつけたシャロン・イスラエル首相が、脳出血で倒れた。これにより、パレスチナ情勢は再び不安定化するのではないかとの見方も出ている。しかし、進展し始めた和平への道を絶ってはならない。首
ではイスラエルについて簡単に。。 場所は中東(地図)、エジプトの右上あたり。学校で習ったプカプカ浮く死海のあるとこ!大きさは四国ほどの小さな国です。 そこには、イスラエル人(ユダヤ人)約77%、アラブ人(主にパレスチナ人)その他約23%が仲良く住んで・・
 ユダヤのホロコーストは20世紀の悲劇の1つだが、彼らに国を追われたパレスチナ難民もまた悲劇だ。パレスチナ人に世界中から同情が集まったのは当然だが、ユダヤ人同様その後の活動で評判を落としている。何も異民族だけでなく、同じアラブからも評判は芳しくないのを、日
 この世紀の大事件では、2機が世界貿易センターに落ち、一機がペンタゴンに落ち、一機がピッツバーグで、郊外に落ちた。前回は週刊ポストの記事から、グラウンドゼロの2機が軍用機らしきこと、ペンタゴンの一機が破壊規模から絶対に民間機ではないこと、を紹介した。....
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