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Thu.

社説【いじめ自殺 あなただったらどう説得する?】

【前書き】
 いじめに関するエントリーで私は「死ぬ勇気があるなら、生きる勇気に代えてほしかった」と述べました。それが奇麗事だと分かっていますが、異論としてTBを頂きましたので改めて考えてみたい。今回は、生きる勇気について「これだけは言わせて!!」。
 
【生きる勇気】
・(産経新聞)
【いつかはいじめた相手を見返すくらいの気持ちをもって、心身共に強く生き抜いてほしい】


【後書き】
 私としては、保守的な産経新聞のとらえ方にしっくりくるので、一言だけ引用させてもらいました。では、TB頂いた件で少し考えてみたいです。

生きる勇気、生きる希望が無いから死を選ぶのでは…。

 ごもっともなタイトルですね。自殺を考えてどん底にいる人に対して、「死ぬ勇気があるなら」など声をかけても届くはずがない…確かにそうかもしれない。

 目線が違うと言いたいのでしょう。私の発言は、どちらかと言えば強い立場、「私はできたからあなたもできる、生きろ!!」的な上から発した言葉だと思います。力強く分かり易い言葉に思えて、それを聞いた自殺願望者は更に追い込むことにもなりかねない。

 更に、「今の苦しみを乗り越えれば必ず幸せが訪れる」的な楽観思想に対しても、「いじめを受けている人は今の苦しみが一生の苦しみのように感じている、ということに気付いているのだろうか」と述べられている。そうですね…私もいじめられていたときは、毎日が地獄のような日々でした。

 結論は重要なので貼り付けさせてもらいます。

【今の自分には、彼らの自殺を止める方法が思いつきそうにない。

せいぜい、自殺しようとしている人が自分の大切な人だったとして、
「君がいなくなったら自分、どうしたらいいの?お願いだから死なないで」
と泣いて嘆願するぐらいしか出来ないような気がする。】


 そして、加害者側への厳罰化を訴えられています。

 ちなみに私は、被害者にエールを送りました。経験上、私にはいじめられる要素が明確にあった。今思えば、何でもないことでも些細なことに傷付いていましたね。もちろん厳罰化も必要だと思う。ただ、私はどうしても「強く生きてほしい」というメッセージを送らずにはいられませんね。

 同じ目線に立てば(同じ目線に立てれば)、容易に分かることだと思います。それに気付いていなければ、私の発言は逆に自殺願望者を追い込むことになるかもしれない。

 前書きでも触れたように、いじめられっ子にかけるあらゆる言葉は奇麗事に過ぎない。本人の気持ちが分かってあげれないですからね。だから、「お願いだから死なないで」という親身な気持ちの方が伝わり易いと思います。ただ、「自分の大切な人だったとして」というところが問題なんですよね。

 自殺願望者・いじめられっ子にはそれぞれの事情がある。私がそれを理解した上で、「お願いだから死なないで」と言える存在であれば、命は救えるかもしれない。しかし、基本的に自殺は誰かに相談して行うモノではないでしょう。誰もいなければ、やはり死に急いでしまう。周りが気付かなければ止められないわけです。

 ここまで書いておいて、全てを投げ出すようなことを書くのはどうかと思いますが、「被害者意識に触れられない以上は、自殺は止められない」という結論になる。大切な人でなければ、どれくらい真剣に考えれるかも分からないし…。「嫌いと言われるより、興味がないと言われる方が傷付く」と言った人がいる。嫌いなら、まだ意識の範疇であり、万一でも「好き」或いは「興味がある存在」に変わるかもしれない。全ての人に興味心をもって接することは簡単ではないでしょう。

 私は自殺未遂に終わったわけですが、そのときの気持ちは何でもいいから声をかけてもらいたいというものだった。今でも覚えているけど、通り過ぎた本屋でセールスの女性に声を掛けられて(私は今から死のうと思ってるんだけど…)とは言わなかったけど、何でもない一言に、ふと自分が存在していることに気付くことができた(それが自殺未遂に済んだ理由ではありませんが)。本当は死にたくないけど、生きる術を見出せないから消去法で選んだのが自殺だったわけで、力強く「生きろ!!」って言ってもらえればもう一度前に進む勇気を与えられたのかもしれない。私の場合はね。

 実は、自殺願望者から相談されたことは何回かある。「あぁ、この人は止めてほしいから相談したんだろうな」と思った。多分、これまで並べてきたような綺麗事で説得を試みたと思う。数日後に「もう一度頑張って生きようと思います」という前向きな言葉を頂いたが、その後どうしているかは分からない。

 そうそう、私は「自殺は自分を殺すこと」とも言いましたね。私は、自殺願望者を弱者だと思っている。生きることに背を向けたわけですからね。そういうドライな考え方は大いに批判を受けることだろうから書くべきことではないと思うけど、私の考えの原点はやはりそこなんだよ。故に、「強くなってほしい」と言いたくなる。

 では、目の前にいる自殺願望者が大切な存在でもなく、親身な気持ちの言葉がかけれなかったら…やっぱり平凡な奇麗事しか浮かばないのかな。自問自答していてもいまいち答えは出ませんが、少し自分の落ち度に気付く機会になりました。
 

【参考資料】
産経新聞 10月31日主張【いじめ自殺 死に急いだら負けになる】


【関連エントリー】
社説【いじめと自殺 いつからワンセットになったんだ?】
社説【いじめ対策 朝日新聞に倣って奇麗事を並べてみよう】
社説【いじめ自殺 いじめられっ子にエールを】
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20:31 | 社会 | comments (5) | trackbacks (1) | edit | page top↑

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Comments

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by: | 2006/11/21 21:01 | URL [編集] | page top↑
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 いろいろ書いたんですが、反社会的な内容を含むので、公開は自粛させて頂きます。m(_ _)m
by: kyouji | 2006/11/21 21:05 | URL [編集] | page top↑
#
 kyoujiさま☆コメントありがとうございます。

 kyoujiさんのコメントですが、発想としては納得いけるものですよ。少なからず私は「理解できる」側にいると思います。右寄り(保守的)な考え方だと思いますが、事後処理の部分なんか現代人には少ない価値観かもしれない。結構、軽薄な親が幼児虐待とか平気でしてますからね。まぁ、親身になれる関係に限定されるところは、どうしようもないわけですが…。

 kyoujiさんのコメントは私にしか分からないので、このコメントもkyoujiさんにしか分からない内容でしょう。ここにしか書けないからしょうがないけど^^;

 あえて一言だけ公開させてもらえば…

>ここまで書かれちゃうと、私も黙ってたら卑怯だよなあ

 ん~人間性が滲み出た一言ですね。私としては、引き付けられてしまいます。kyoujiさんなりの考えを披露して頂けて参考になりました。ありがとうございます。
by: 無名 | 2006/11/21 22:29 | URL [編集] | page top↑
# 「本能」そのものが歪められている可能性
どうもこんにちは。都筑てんがと申します。

あの文章から、色々考えました。
なぜ自殺するのか。どうやって自殺を止めたらいいのか。
自分はこう考えました。

 人間は生きるための「本能」を持っている。

 腹が減れば食事を摂り、眠くなれば睡眠を取り、寒くなれば暖を取り、暑くなれば涼しい場所で体を冷ます。

 それは、人間の中にある「本能」が、「常に北を指し示すコンパス」のように、「幸せ」の方向を指し示しているからではないか。

 多くの人は、その心の中にある「コンパス」が「生きる=幸せ」「死ぬ=不幸」である…と指し示している。だから「死ぬ事に勇気がいる」…と考える。

 自殺を考えてしまう人は、それが外部からの要因で、「幸せの方向を向く」コンパスの針を、ほとんど真逆の方向に向けられてしまっているのではないか。

 だから「死ぬ=幸せ」「生きる=不幸」と考えてしまう。「生きることのほうが勇気が要る」「死んだほうが楽」だと考える。

 そういう事ではないか…と思った自分がいました。

 そのような考えで、エントリを立ててみました。もしよろしければ、読んでみて下さい。
by: 都筑てんが | 2007/01/12 07:08 | URL [編集] | page top↑
#
 都筑てんがさん☆コメントありがとうございます。

 前向きな人にとって、自殺とは無意味過ぎる。一方で後ろ向きな人には自殺が人生の終着駅とでも言うべきか。

 今は、やりたいことがあり過ぎて楽しく人生送ってますが、自殺願望を持っていた頃は、将来への希望もなくて地に足がついていない状態だった。自殺未遂したときは、完全に諦めてましたね。

 自殺より魅力的なものは幾らでもあるけど、自殺願望者にとっては、不器用であったり、身体的、家庭的な様々な事情を背負っているため、全てが黒く見えてしまう。

 道標となる人が周囲にいれば救える命なんですけどね。何のアクションもなしに自殺されたのではどうしようもできない。人間って誰かの力を借りなければ生きれないものですよ。その誰かを見つけるだけでも人生は楽しいと思うんだけどな。

 言葉を並べるのは好きですが、「いつ死んでも悔いのない人生にしたい」って言葉をしきりに呟いた時期がありましたね。人生は大半が苦痛なんですが、その先に達成感があり、協調性がうまれ…と、付随していくもの。

 私は、必ずしも「楽しい人生」を望んではいないです。楽しさ以外にも、人生を楽しむ術はある。生きるのが楽しくなりだしたのは、固定概念を捨てて、広い視野を持てるようになってからでしょうか。視界に自殺しか入っていない人がいるとしたら、少しだけ別のところに目を向けることってできないかな。

 何か見付かるかもしれない。

 都筑さんへのコメントには程遠い気がしますが、私なりに語らせてもらいました。
by: 無名 | 2007/01/12 19:44 | URL [編集] | page top↑

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