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Sat.

正論【ゆとりある教育 見直し方で改善も改悪もする】

【前書き】
 安部政権の一つの課題として教育問題があると思います。現在、協議を重ねている教育再生会議では、各委員が意見を出し合って第1次報告最終案を煮詰めています。「ゆとり教育の見直し」というだけでも賛否はあるようです。私なりに考えていきたい。それでは、東京都教育委員会委員で将棋永世棋聖の米長邦雄さんの主張をどうぞ。
 
【ゆとり教育転換という大きな活字が本紙の1月12日の紙面トップにあった。読むと前日の教育再生会議の運営委員会で、従来のゆとり教育の見直しを求めたのだそうだ。私はこれには異論というよりも「教育界のためにやめてくれ」と強く願って本原稿を書いた。いわば緊急提言である。ゆとり教育というが、「ゆとりある教育」と言うのが正しく、「ゆとり教育」という言葉はマスコミで使われだしたことで本来の理念を離れてひとり歩きしてしまったのだ。】

 「ゆとり教育」と「ゆとりある教育」の違いですか。いまいち思いつかないので、私の第一印象を述べたいと思います。最近の若者(二十歳前後)に接する機会が多いのですが、正に「ゆとり教育の賜物」と思いたくなるほど自由奔放です。否、放埓に近いでしょうね。今でこそ歴史の勉強が役に立つと思っていますが、当然学生のときに今ほど興味はなかった。同様に、必須科目とは別に「道徳」を養う場(総合学習)を設けることで、大人が求める子どもの知性向上が得られるとは限らない。肝心なのは子どもがどう捉えるかです。面白く授業できる先生に恵まれていれば、生徒の将来も少しは明るくなるかもしれない。しかし、マニュアル通りに奇麗事を並べただけの授業を聞いてもつまらないだけであって、子どもに「ゆとり」を与えるだけの時間になってしまう。ゆとり教育というのは、「もっと遊んで良いよ」って考えなのでしょうか。「詰め込み教育であっぷあっぷな状態を緩和して、少しでも有効な教育に転換したい」と考えたからなのではないか、と思う。「有効=道徳」と言えば簡単ですが、大人としては、物事の善悪であったり、人を思い遣る気持ちなどを育んでほしいと思うのではないか。或いは、受験戦争の勝敗だけが人生ではなく、多方面の社会を知ってから自分の職業を選んでも良いこと、つまりそれが「ゆとりある教育」なのかな?と思いました。

【「学力向上」のために1日の授業時数を増やしたり、総合的な学習の時間の見直しや長期休業日の短縮が提言されてもいるが、勉強する時間を増やして、知識をつめこみさえすれば「学力」は向上すると思うのはあまりにも単純すぎる。その程度で向上した「学力」は、すぐに役に立たなくなる。だから、体験的な学習を通して「生きる力」を身につけさせようとしたのではなかったのか。】

 授業数を1割増やすというのは、1週間あたり2時間授業が増えることのようです。確かに増やせば良いってもんではありませんね。子ども心には「何で今までこの時間に帰れたのに、勉強しなければならないの!!」と不満が出るでしょうね。それを説得できる教師がどれくらいいるでしょうか。ゆとり教育にしろ、その見直しにしろ大人の都合ではある。数年前に比べて、日本の学力低下は著しい。世界で○番目なんてランク付けされたら、やっぱり一番を狙わざるを得ないのでしょうか。つまり、子どもは大人の政策に振り回されてきたわけで、これからも振り回されるんでしょう。教育再生会議に子どもたちを呼んだりできないのでしょうか。有識者の集まりかもしれませんが、現場の生の声を聞いた上で教育の見直しを説いているのでしょうか。他にも、「奉仕活動必修化」、いじめ問題の解決策として「出席停止処分」なども挙げられているようですね。いじめに関しては、別件で述べてきたので省かせてもらいます。

【報道によれば昨年12月末に文部科学省の事務局が作成した原案には見直しは明記されていなかったとある。ところが委員がそれに猛反発したらしい。教育基本法が改正された。その中には国を愛する心を育む、郷土を愛する態度等々が盛り込まれており、道徳心や、自然と親しむことを含めて「人間らしく育成する」のが教育の本質であるとの主旨が貫かれている。評価できる内容である。】

 確かに教育基本法が改正されただけで、現場にも浸透するとは言い切れない。教育再生会議の最終報告書では「ゆとり教育の見直し」が明記されたことで、委員としてもとりあえず納得したようです。しかし、教育の本質である「人間らしく育成する」というのも教師の裁量に左右されそうですね。私の知っている偏見教師は「日本は弱者に冷たく、強者に甘い国なんだ。自分でどうにかしないと生き抜けない社会になっている」って言っていました。確かに正論なんですけど、教師が生徒に言う言葉でしょうか。あまりにもストレート過ぎる。躾するにも暴力厳禁ですから、そのような乱暴さも有効な場合もあるでしょうけどね。

【では、学校の中ではそれらのことをどの時間に児童・生徒に教えるというのか。数学で100点を取れば愛国心は育まれるのか。英語の成績が上がれば自然環境に配慮したり地球の温暖化問題に目覚めるというのか。考えてもみよ。戦後60年間の教育の荒廃の最大の要因は何であったか。学力向上や低下以前の、教師たちの心の在り方や子供への接し方、教える環境にこそ原因があったのである。学力が向上すれば「いじめ」は減るとお考えか。近頃の学校内外の奇怪な目をそむけたくなるような事件は、学力低下がもたらしたものであろうか。そうではあるまい。心の涵養(かんよう)こそ、現在最も求められている焦眉の急である。それを承知で「ゆとりある」環境の中で「人間らしく育成する」ことを目的とした総合的な学習の時間をなくしてしまっていいというのであろうか。】

 少なからず以前からいじめはあったでしょう。文科省報告で、「これまで、いじめ自殺はなかった」と言われても、いじめの定義がなかったことや学校側の隠蔽体質で自殺という結論が曖昧にされていたのではないか。増減はあると思いますけどね。学力低下やいじめ問題を理由にゆとり教育の見直しをするのは尚早かもしれない。「ゆとりある教育」が何を意味しているのかも理解せずに、「これがダメならあれでいこう」と反省もせずに転換するのは不味いでしょうね。会議の運営委員がどのような価値観を持っているのか分からないので、否定も肯定もできませんが。

【東京都教育委員会は来年度から公立高校の全生徒に「奉仕」を1単位必修とした。200校の校長は各校でメニューを出して心の育成をする。さらには新教科「日本の伝統・文化」が2単位ある。これは総合学習の「国際理解」の一環といえる。国際理解は、真の国際的な人間とは「日本とはどんな国か」を外国人に説明できることととらえているのである。古くは縄文文化から現代に至るまでのさまざまな日本の伝統・文化を学ぶ。】

 最近は、教師がカリキュラムを組むにも「どんな目的でこの授業を行い、それにより生徒にどうなってほしいのか」など詳しい明言が求められているようです。教師の質が問われているということですね。当然、授業内容も重要になるでしょう。教科書を棒読みする授業もあれば、一切教科書を使わず、独自の価値観を押し付けてくる(良し悪しはありますよ)教師もいましたね。教師の質を問うのは結構ですが、最終的な判断材料は「成績」と「出席」でしょう。どう生徒を引き付ければよいか。教師も大変な職業になりましたね。

【「ゆとりある教育」は昭和52年に、当時の詰め込み教育などへの反省からスタートした。ところが平成10年の改訂で学習量が当初の2割5分削減に加え、さらに3割削減され、このことが学力低下につながったといわれている。これをそのままでいいとはいわない。教育現場で総合的な学習の時間がうまく運用されていなかったということもあろう。基礎・基本の充実が求められていることに異存はない。ただ、学力低下に目を奪われて、せっかく新たに掲げられた教育基本法から離れ、またぞろ詰め込み教育に逆戻りすることはやめてもらいたいのである。】

 上記でも紹介した偏見教師は、少しでも生徒の不手際を見付けたら「さすが、あなた達はゆとり教育を受けてきたからね」と野次ってきた。子ども自体が「ゆとり教育」の意味は理解していないのではないか。だって、義務教育が緩和されたとしか思わないでしょう。「あぁ遊んでいいんだ」って思うのが普通なのでは。ネーミングから間違っていたとも思いますね。まだ「人間らしさ教育」の方が良いような気もする。「ゆとり」という誤ったメッセージを受け止めた子どもたちは、伸び伸び生きたことに変わりないとは思いますが、論者が定義している「ゆとりある教育」には程遠い現実にある。さて、今度は誤解を招いたゆとり教育を「見直す」わけですが、再び「詰め込み教育が行われる」と思っている人も多いのではないでしょうか。授業数を増やすことは学力向上に狙いがあるにせよ、それに自己満足するのは文科省などの役人かもしれない。見直す必要性を見誤らないことが肝心でしょうね。


【後書き】
 いまいちまとまりが悪い気もしますが、そこのところはお許しください。

 現場の教師としても「授業を増やしたところで、学力向上に繋がるとは言い切れない」という声が聞かれます。「生徒によって科目の好き嫌いはあるし、教師に対して好き嫌いもあるでしょう」…ということらしいですが、そこはどうにかしてよ!!と言いたくもなります。面白いもので、好きな教師と嫌いな教師の顔と名前は今でもしっかり覚えているんですよね。普通の授業をしていた教師のことは一切覚えていない。生徒からの印象が悪いにせよ、生徒の将来が明るければいいわけで…私としては「嫌われ役」も教育現場に必要だとは思います。「あぁ、あの先生に怒られたから今があるんだ」って私は思いますね。

 
【参考資料】
産経新聞 1月17日正論【東京都教育委員会委員、将棋永世棋聖 米長邦雄】
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08:50 | 正論 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

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